映画「紅の豚」を見て多くの方が抱く疑問が「ポルコはなぜ豚の姿なんだろう?」ということではないでしょうか。
「紅の豚」公開当時は、実際にそのような質問が宮崎駿監督へ多く寄せられたそうです。
当記事では、ポルコが豚の姿である理由について考察します。
「紅の豚」本編のセリフや過去の関係者インタビューを踏まえて考察しますので、参考になれば幸いです。
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当記事は映画「紅の豚」を一度は見ている方向けに執筆しています。
結末等のネタバレを含みますのでご注意ください。
ポルコは自分自身で豚になる魔法をかけている
「どうやったら、あなたにかけられた魔法が解けるのかしらね?」
本編でジーナがポルコにささやいたセリフです。
このセリフから、ポルコには魔法がかけられていることが分かります。
さらには、映画公開当時のパンフレットには以下のようにも記載されています。
迫り来る新たな戦争を前に再び国家の英雄になることを拒み、自分で自分に魔法をかけてブタになってしまいます。
公開当時の「紅の豚」パンフレットにて
「自分で自分に魔法をかけてブタになった」と明言されているのです。
ではなぜポルコは自分で豚になることを選んだのか?
以下ではその理由について考察します。
「紅の豚」本編では豚になった理由を明かしていない
「紅の豚」本編の中では、ポルコが自ら豚の姿を選んだ理由は明かされていません。
ジーナの発言や過去の回想シーン(ポルコが人間だった頃のシーン)等ヒントはあるものの、明確な理由は描かれていないのです。
以下の鈴木敏夫プロデューサーのインタビューから、宮崎駿監督の考え方を読み取ることができます。
「そもそもなんでこいつ豚なんですか?」
そしらたら、宮さん怒りましたねえ。
「だいたい日本映画ってくだらないんだよ。すぐに原因と結果を明らかにしようとする。結果だけでいいじゃないか!」
ジブリの教科書7紅の豚(文春ジブリ文庫)鈴木敏夫氏インタビューより引用
宮崎駿監督はポルコが豚の姿である理由について、明らかにする気がないのでしょう。
そもそも「紅の豚」の原案ではジーナは登場せず、人間だった頃のシーンもありませんでした。
「これでは観客が納得しない」という鈴木敏夫プロデューサーとの議論の結果、ジーナや回想シーンが作られることになったのです。
※制作裏話や原作については以下の記事で紹介しています。ぜひ合わせてご覧ください。
【考察】紅の豚・ポルコが豚の姿である理由
「紅の豚」本編でポルコが豚の理由は明かされていません。
ただ、映画内のセリフや宮崎駿監督の発言が大きなヒントになっています。
ここでは、以下の3つの理由について考察します。
- 自分を許さないポルコの意思表示
- 俗世と距離を取るポルコの意思表示
- ジーナとの関係性を深めないため
豚の姿は一見ふざけているように見えますが、考察すると深い理由が感じられ、さらにポルコが好きになりました。
自分を許さないポルコの意思表示
当サイトが最も推したいのが、自分自身を許さない意思表示だとする説です。
「紅の豚」といえば、1920~1930年代のアドリア海を舞台とした映画です。
第1次世界大戦直後、ファシストが台頭する揺れ動く時代が舞台です。
この時代の中で、ポルコは元軍人・元イタリア空軍のエースとして描かれています。
「イタリア空軍のエース」は輝かしい肩書ですが、時代が違えばやっていることは虚しい争いです。
ポルコはこの虚しさに気付いていたのではないでしょうか。
多くの命を奪い、仲間を失い、それでも自分だけは生き延びてしまった。
この後悔と自責の念から、ポルコは自分自身を豚の姿に変えたのだと考察できます。
宮崎駿監督は映画の結末について語る際、以下のようにコメントしています。
もういっぱい経験してきた人間たち。取り返しのつかないこともいっぱい持っている人間たちなんです。(中略)豚も自分の汚れが晴れて、やり直しがきいて、これでまっさらになったなんて思わないですね。
ジブリの教科書7紅の豚(文春ジブリ文庫)宮崎駿監督インタビューより引用
ポルコは過去の過ちを背負い、自分を許すことなく豚の姿で生きていくと決めているのではないでしょうか。
こうして考えると、ジーナのセリフ「どうやったら、あなたにかけられた魔法が解けるのかしらね?」もさらに深みのあるセリフに聞こえてきますね。
俗世と距離を取るポルコの意思表示
「自分を許さない」ことが過去の自分への意思表示だとすれば、こちらは未来の自分への意思表示と言えるかもしれません。
ファシストが台頭し次の争いの気配が感じられる中、国家はポルコに軍人として復帰することを期待します。
ここに明確にNOと突き返す態度が、豚でいるということです。
「ファシストになるより豚の方がマシさ」
「そういうことはな、人間同士でやんな」
こうした映画内のポルコの発言からも、俗世と距離を取りたがっていることが分かります。
同じ過ちを繰り返さないためにも、ポルコは豚の姿であり続けるのです。
ジーナとの関係性を深めないため
ネット上で多く見られる考察で、面白くポルコらしいと感じられた説も紹介します。
過去、軍人の夫を亡くしているジーナをこれ以上悲しませないために豚の姿でいるという説です。
仮にジーナとの仲が深まったとしても、飛行艇乗りのポルコはいつ命を落としても不思議ではありません。
仲良くなってジーナを傷つけるくらいなら、豚の姿で距離を取り続けようというわけです。
映画や過去の監督インタビューから根拠を見つけることはできませんでしたが、ポルコならこのように考えていても不思議ではありませんね。
【考察】ポルコが2度人間の姿に戻った理由
ポルコが人間の姿に戻った(と思われる)シーンが映画内に2か所存在します。
- カーチスとの決戦前夜
- ラストシーンのフィオのキス
ポルコはなぜ人間の姿に戻ったのでしょうか。
このヒントが、過去の宮崎駿監督のインタビューにありました。
人間の顔に、本当の真顔になってしまうことも、豚にとってはあるかもしれない。
ジブリの教科書7紅の豚(文春ジブリ文庫)宮崎駿監督インタビューより引用
宮崎駿監督は人間の姿を「真顔」と表現しています。
自分自身に魔法をかけたポルコが、ふと本音をこぼす瞬間に人間の姿に戻るのではないでしょうか。
フィオの影響で「人間も悪くないな・・」といった考えに至ったのかもしれません。
【考察】「紅の豚」で最終的にポルコは人間に戻ったのか?
「紅の豚」のラストでは、フィオのキスでポルコは人間に戻ったように見えます。
顔は最後まで隠されていたため、この結末は観客の創造に委ねられています。
実際のところ、ポルコは人間に戻ったのでしょうか。
宮崎駿監督は以下のようにコメントしています。
僕は豚のままで生きるほうがいいんじゃないかと思います。ときどきつい本音がでて真顔になったりするけれど、でも豚のまま最後まで生きていくほうが、本当にこの男らしいと思う。
ジブリの教科書7紅の豚(文春ジブリ文庫)宮崎駿監督インタビューより引用
時々人間に戻ることはあっても、基本的には豚として生きていくというわけですね。
過去の過ちを忘れることなく、自責の念とともに生きる姿は、確かにポルコらしいと感じます。
【都市伝説】裏設定では「豚の姿」は共産主義者?
「豚の姿」は共産主義者のメタファーだ・・といった都市伝説も存在します。
その根拠としては、以下のように語られることが多いです。
- 「赤(紅)」は共産主義のカラー
- 「豚」はイタリアでは相手を馬鹿にするニュアンスを持つ
- 「ファシストの連中は共産主義者のことを「ポルコロッソ(赤い豚)」と呼んでいたのではないかと思う」と宮崎駿監督自身がパンフレットの中で発言している
- 宮崎駿監督は政治的発言も多く、左翼思想を持つのではと噂されることがある
- 『紅の豚』本編でも「ファシストになるより豚の方がマシ」等のセリフが存在する
それなりに説得力のある都市伝説ではありますが、この都市伝説に関しては宮崎駿監督やスタジオジブリ公式な見解は存在しません。
『紅の豚』のまとめ記事はこちら!
『紅の豚』の都市伝説や考察のまとめなど、『紅の豚』の魅力を1記事にまとめています。ぜひ合わせてご覧ください。
『紅の豚』の記事執筆における参考書籍
まつぼくらぶでは『紅の豚』の記事を執筆するにあたり、主に以下の書籍を参考にしています。
- ジブリの教科書7 紅の豚(文春ジブリ文庫)
- 宮崎駿の雑想ノート(大日本絵画)
- スタジオジブリ絵コンテ全集7 紅の豚(徳間書店)
- ジブリの教科書7 紅の豚(文春ジブリ文庫)
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過去のインタビュー内容等を参考、引用しています。
ポチップ - 宮崎駿の雑想ノート(大日本絵画)
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『紅の豚』の原作『飛行艇時代』が収録されています。
- スタジオジブリ絵コンテ全集7 紅の豚(徳間書店)
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『紅の豚』の制作に使用された絵コンテです。
ポチップ
なお、作品の画像はスタジオジブリ公式サイトから無償提供されている場面写真を使用しております。