当記事では、映画『二の国』の感想を赤裸々に語ります。
正直、かなり残念な出来ではあったのですが、そう感じた理由をできるだけ言語化してみます。
以下の点にご注意ください
- 『二の国』を酷評する内容になりますので、ファンの方はご注意ください。
- 物語の重要な設定などのネタバレを含みます
- スタジオジブリから徒歩圏内の小金井市在住のジブリオタク
- 好きな場所は三鷹の森ジブリ美術館
- 最も好きな作品は「風の谷のナウシカ」
映画版『二の国』はここがひどい【正直な感想】
『二の国』はスタジオジブリのレジェンドアニメーター百瀬義行監督の作品です。
『妖怪ウォッチ』シリーズや『ドラクエⅧ』を手掛けた敏腕クリエイター日野晃博の製作総指揮・脚本ということもあって、見る前はかなり期待していました。
それでも『二の国』をひどいと感じてしまった理由は、主に以下のような要素です。
- 観客を馬鹿にするような無駄なセリフ
- ラストシーンは制作陣の言い訳にしか見えない
- 主人公が車椅子の設定は必要だったのか?
- 違和感を感じるほど浮いたCG
- 棒読みでマッチしていない声優
- 感情移入できるキャラクターがいない
- 「命」をテーマにしているとは思えない
それぞれ順番に語っていきます。
観客を馬鹿にするような無駄なセリフ
序盤からこの映画に入り込めなかった大きな理由が、無駄なセリフの多さです。
「そんなこと見てればわかるよ!」といった描写が、わざわざセリフで語られるのです。
- 俺が本当にイライラしているのは、別のところか…
- あ!コトナがいない!
- ここは酒場だな!
- 特別警戒中である!王の勅命でないと入れない!
- 大好物のすっぱいオレンジを食べてスッキリ回復だよ!
ごく一部を列挙してみましたが、例えば「大好物のすっぱい~」はアーシャのセリフです。
このセリフはコトナとアーシャの共通点を印象付けるセリフですが、しっかりとアニメーションで表現してほしかったです。
オレンジを食べるアーシャを見たユウが、ハッとする表情を描くだけで、観客にはその意図は伝わります。
こういった点に観客が自分で気づくことも、アニメーション映画の楽しみのひとつです。
「絵を見ただけでは観客は何も分からないだろ」と言わんばかりに、あらゆる要素がセリフで説明されます。(観客を馬鹿にしてると感じるほどです)
このテンポの悪さは、なかなかのストレスでした・・・
少し擁護すると、製作総指揮・脚本の日野晃博氏の弱点が出てしまった印象を受けました。
日野氏は『妖怪ウォッチ』や『イナズマイレブン』等子ども向けアニメーションを得意としていたため、過剰なセリフ回しがクセになっていたのかもしれません(子ども向けなら、丁寧にセリフで説明するのが大切なのは理解できます)
逆にほとんどの要素を絵で語り、セリフは最小限にとどめる宮崎駿監督の手法とは真逆ですね。
ラストシーンは制作陣の言い訳にしか見えない
ラストシーンは本当に残念でした。
ユウの正体に気が付いたハルのナレーションです。
「ユウは二の国の住人で、ハルとユウの命は繋がっていた」という重要な設定ですが、これをナレーションで語ってしまうのは酷すぎます。
これこそ、伏線を散りばめて最後は観客自身に気付かせるくらいが良かったと思います。
とはいえ、残念ながら伏線と思われる要素はほとんどありません。
「命が繋がっている」と明かされても、「え!?そうなの!?」とあっけにとられるだけで、納得感はありませんでした。
むしろ矛盾だらけでモヤモヤします。
- 命が繋がっている者は性格が似るらしいのに、ユウとハルはむしろ正反対
- 他のキャラは見た目は似ているのに、見た目も全然違う
- 声も違う
しいて伏線としてげるなら、二人ともコトナが好きで、幼少期の回想シーンでハルが「似た者同士」と言ったくらいでしょうか。(実は伏線が隠れてるのでは、ともう一度最初から見直しましたが、特にありませんでした)
映画を通して観客に伝えるべき重要な設定が、結局ナレーション無しには伝えきれていないのです。
脚本やアニメーションで伝えきれなかった設定を、仕方なくキャラクターに喋らせたようにしか見えません。
ハルがユウの正体に気付いたきっかけも良く分かりませんし、これでは制作陣の言い訳です。
主人公が車椅子の設定は必要だったのか?
多くの方が指摘している点ですが、ユウの車椅子の設定は本当に無駄でした。
- クレープ屋に向かう階段を前に、ユウは自らを「邪魔者」と言う
- 車椅子のユウにコトナは助けを求めて、ユウは車椅子カーチェイスを繰り広げる
- 車椅子のユウが一の国から消え、ハッピーエンドを迎えたように見える
こういった、車椅子の方への配慮が欠けた描写が批判の対象となっています。
「ユウが二の国に執着する理由を作りたかった」と日野氏は語っており、アーシャの他にもユウに魅力的な要素を作りたかったということもあるのでしょう。
日野氏に悪意は無いと信じたいですが、やはり配慮が欠けていたと言わざるを得ないですね。
個人的に最も残念だったのは、ラストシーンでハルとコトナが階段を登った場面です。
いや、そこはせめて遠回りしてくれよ・・・!
と思わずツッコんでしまいました。
映画序盤で「遠回りできるから次は3人で」と語っていたので、ハルとコトナが二人で階段を登ったときはショックでした。
話が少し逸れますが、私がジブリ映画の中で一番好きなセリフを紹介します。
銭婆「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」
ハルもコトナも、きれいさっぱりユウのこと忘れるぞ・・・!
と感じてしまいました。
ハルはユウのことを回想しているのでもちろん覚えているのでしょうが、コトナの記憶からは消えていそうですね。
二人で階段の前で立ち止まって、ちょっと物思いにふけってくれるだけでも、ユウの存在を感じられたのに・・・
「なんとなく、今日は遠回りしよっか」とコトナが一言、言ってくれるだけで車椅子のユウが救われた気もします。
結局、最後まで車椅子の設定が活かされないまま終わってしまった印象でした。
違和感を感じるほど浮いたCG
予算や制作期間の都合もあったでしょうが、戦争シーンのCGはひどすぎです。
緊迫した戦争のシーンのはずなのに、キレの悪いCG戦士たちがチャンバラごっこを繰り広げます。
違和感を感じてしまうくらいに浮いていました。
百瀬監督が率いているにしては、全体的な作画も期待外れでした。
特にアーシャが泉で踊るシーンは絵で魅せる大チャンスのはずですが、普通の出来に落ち着いていました(悪いわけではないのですが・・・)
莫大な予算で作られるジブリに慣れてしまっているので、ちょっとかわいそうではあるのですが、ジブリ出身の百瀬監督の期待値が高すぎたのかもしれません。
棒読みでマッチしていない声優
無駄なセリフが多いので違和感を感じてしまうのですが、それを差し引いても声優がイマイチでした。
ヨキを担当した宮野真守さんや、バルトンを担当した山寺宏一さんを筆頭に、脇役の面々はさすがの演技でしたが、メインキャストが残念でした。
『風立ちぬ』で主人公を演じた庵野秀明も見事な棒読みでしたが、あの棒読みがキャラクターに合っていたので作品に入り込むことができました。
ただ、『二の国』に関してはキャラクターや場面ともマッチしていないので、違和感しか感じないのです。
特にコトナとアーシャを担当した永野芽郁さん・・・
戦争のシーンのアーシャのセリフからは緊張感や感情が感じられず、セリフが響いてこないのです。
女優としての永野さんは好きなのですが、『二の国』に関してはミスキャスティングだと思ってしまいました。
感情移入できるキャラクターがいない
『二の国』のキャラクターは感情移入できるキャラクターがおらず、感情が揺さぶられることがありませんでした。
ユウやハルはもちろん、悪役のヨキくらいはもう少し人物像を深堀する描写があっても良かったと思います。
ユウとハルは過去の出会いの回想だけでしたし、ヨキの過去も簡単なヨキのセリフで済まされてしまいました。
ヨキは実は壮絶な辛い過去を持っているので、もっとしっかり描けば深みも出たでしょう(あそこを1枚絵とナレーションで済ませるあたり、やはり予算と時間の限界だったのかも・・・)
ちなみにユウとハルは行動が短絡的すぎて、感情移入は無理です(笑)
「命」をテーマにしているとは思えない
『二の国』の宣伝時のコピーは「命を選べ」でした。
このコピーや映画の内容を踏まえても、『二の国』が「命」をテーマにしていることは明らかです。
その割には、むしろ命を軽視しているようにしか見えない場面が多々描かれているのです。
- 「おそらく命の危険で元の世界に戻れる」という仮説だけで、ためらいもなく火の中に飛び込む
- コトナのためとはいえ、ハルがアーシャの命を奪う決断をするのが早すぎる
- サキ姉と命が繋がっているはずのヴェルサのピンチを、ユウは一瞥するだけでスルーする
- ユウが深手を負って弱っている場面で、ハルもアーシャもユウを放置してヨキに向かっていく(まだユウは生きてるのに…「許さない!」って怒る前にユウの心配して欲しい)
「命」というセリフを連発するわりには、キャラクターの行動が浅いのです。
こうした描写から作品に重みが感じられず、感情を揺さぶられることが一切ありませんでした。
映画版『二の国』の良かった点
ここまで『二の国』を酷評してしまいましたが、良かった点もいくつかあげてみます。
ゲーム設定を踏襲した世界観
『二の国』の元ネタはRPGゲームということもあり、その設定を踏襲した世界観は面白いです。
そもそも一の国と二の国という設定が面白いですし、現実とファンタジー世界を行き来するストーリーは楽しいです。
妖怪ウォッチを連想する魅力的なキャラクターも登場し、このあたりは日野さんの本領発揮と言えるでしょう。
久石譲の音楽はさすが
『二の国』の音楽はスタジオジブリ作品でお馴染みの久石譲さんが担当しています。
ゲーム『二ノ国』から続いての仕事ですが、さすがの音楽でした。
二の国で流れる音楽はまさにRPGの世界で、ワクワクします。
原作ゲームファンには嬉しい要素が散りばめられている?
『二の国』の中には、ゲームをプレイした人だけにわかる要素が散りばめられているそうです。
- 意味深に登場する謎のお爺さんは、ゲーム版の主人公(勇者の姿の服装が、同じ)
- ゲームに登場した動物の王の像が並んでいる
等々
『二の国』を酷評してしまった私ですが、ゲーム版をプレイした後に見たらもしかしたら感想も変わるかもしれませんね(ゲームもやってないのに酷評してしまいすみません…!)
映画版『二の国』の総括
ここまで『二の国』を酷評してしまいましたが、途中で見るのを止めるレベルではありません。
むしろ、何か重要な伏線を見逃していないか確かめたくて、3回チェックしてしまいました(その結果何も無かったので、「ひどい」という感想になったわけですが…)
百瀬監督や日野さんへの期待が高かった分、残念な思いが酷評に繋がってしまったと感じています。
- ユウとハルが繋がっている根拠がもっとあるのではないか?
- ユウはなぜ勇者として選ばれた?
- ユウが巻き込まれた一の国の飛行機事故は戦争とリンクしてるのでは?
などなど、気になる点はあるのですが、これ以上じっくり『二の国』と向き合う気にはならないというのが正直なところです。
繰り返しですが、百瀬監督や日野さんのことは本当にリスペクトしていますし応援しています。
2023年にスタジオポノックで制作された百瀬監督作品『屋根裏のラジャー』は素晴らしい作品でしたし、日野さんの手掛けたドラクエⅧは私が最も好きなゲームのひとつです。
もし、次回作があるのなら、楽しみに待ちたいと思います。