宮崎駿・高畑勲・小田部洋一の3名で取り組んだ幻の作品「長くつ下のピッピ」をご存知でしょうか。
1971年に企画されたアニメーション作品ですが、制作されることなく企画倒れとなりました。
当記事では、この「長くつ下のピッピ」をまとめた書籍『幻の「長くつ下のピッピ」』について紹介します。
- スタジオジブリから徒歩圏内の小金井市在住のジブリオタク
- 好きな場所は三鷹の森ジブリ美術館
- 最も好きな作品は「風の谷のナウシカ」
『幻の「長くつ下のピッピ」』はどのような本?
『幻の「長くつ下のピッピ」』は、幻の作品となってしまった「長くつ下のピッピ」の制作当時の資料等をまとめた1冊です。
制作資料だけではなく、高畑勲、宮崎駿、小田部洋一3名のインタビューも掲載されています。
以下、基本情報から見どころまで順番に紹介します。
基本情報
正式タイトル | 幻の「長くつ下のピッピ」 |
著者 | 高畑勲、宮崎駿、小田部洋一 ※企画:鈴木敏夫 |
出版社 | 岩波書店 |
初刷 | 2014年10月8日 |
ページ数 | 149ページ |
「長くつ下のピッピ」が企画されたのは1971年のことですが、書籍として出版されたのは2014年です。
40年以上の時を経て、幻の作品の資料が表に出ることになりました。
説明するまでもないかもしれませんが、著者3名についても簡単にご紹介します。
「ピッピ」の企画が中止となった後、3名はともに「パンダコパンダ」(72年)、「アルプスの少女ハイジ」(74年)、「母をたずねて三千里」(76年)等のアニメーションを手掛けます。
その後は高畑勲と宮崎駿はスタジオジブリを設立、小田部洋一は任天堂に入社するなど、活躍を広げます。
- 高畑勲
-
1985年、スタジオジブリ設立。
『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『かぐや姫の物語』等の数々の名作を生みだした。
スタジオジブリを代表する名監督。
- 宮崎駿
-
1985年、スタジオジブリ設立。
『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』等の数々の名作を生みだした。
スタジオジブリを代表する名監督。
- 小田部洋一
-
1985年、任天堂に開発アドバイザーとして入社、キャラクターデザインや監修を担当。
2007年に退社し、フリーに。
日本アニメーション文化財団理事、徳間記念アニメーション文化財団評議委員。
主な内容・見どころ
『幻の「長くつ下のピッピ」』では、「長くつ下のピッピ」制作時の資料が惜しみなく掲載されています。
主な構成は以下のとおりです。
- イメージボード(宮崎駿)
- ストーリーボード(宮崎駿)
- キャラクター・デザイン(小田部洋一)
- 覚え書き(高畑勲)
- 字コンテ(高畑勲)
やはり見どころはその資料の充実具合です。
企画倒れしてしまった作品ですが、かなりしっかりと作りこまれていたことが分かります。
ストーリーボードやキャラクターデザインも充実しているため、絵本を読んでいるような気分で楽しめます。
このような設定資料と合わせて、『幻の「長くつ下のピッピ」』編集時にあらためて実施されたインタビューが掲載されています。
高畑勲監督、宮崎駿監督、小田部洋一氏が若かりし頃を振り返ってのインタビューは読みごたえ十分です。
高畑勲監督の覚書が読みごたえあり
高畑勲監督の覚え書きは特に読みごたえがあり、必見です。
覚え書きは、制作スタッフに向けて書かれたもので、スタッフの意識統一を狙ったものです。
以下のような内容が書かれています。
- ピッピとは何者か
- 「ピッピ」はこれまでのTV漫画とどう違うか
- 「ピッピ」のシリーズを支える柱は何か
- ピッピの世界をどう表現するか
- ピッピ以外のキャラクターについて
ピッピはスーツケース一杯の金貨をもつ、世界一力の強い女の子です。ゴタゴタ荘という自分の家に住み、食事掃除洗濯その他一切の家事を自分でやります。ピッピは誰にも頼らず誰にも甘えず完全に自立した生活を営んでいるのです。この点でどんな大人にも負けません。
幻の「長くつ下のピッピ」 高畑勲 覚書より引用
原作には書かれていない、脇役たちの設定や性格まで詳細に書き込まれています。
「高畑さんはこんなことを考えながら原作を読んだのか・・!」と唸らされます。
ぜひ原作とあわせて読んでいただきたい覚え書きです。
幻の作品「長くつ下のピッピ」はどのような作品?
「長くつ下のピッピ」は1945年にスウェーデンで生まれた物語です(著者:アストリッド・リンドグレーン)
1971年に日本でアニメーション化を狙ったのが、幻の作品「長くつ下のピッピ」なのです。
ここでは、幻の作品「長くつ下のピッピ」のストーリーや関連エピソードを紹介します。
書籍から読み取れる主なストーリー
企画が中断してしまい、幻の作品となってしまったため、そのストーリーは資料から想像するしかありません。
ただ、制作された資料やインタビューを読む限り、原作に沿って制作しようとしていたことが読み取れます。
書籍の中では、あらすじは以下のように表現されています。
ピッピはごたごた荘で、サルの二ルソン氏と馬とともに暮らしています。船長だったおとうさんエフライムさんが行方不明になり、おとうさんがいつかピッピと住むつもりで買ったこの家で生活しているのです。
ピッピは馬を持ち上げることもできる力もちで、ご飯もひとりで作るし、洗濯もする世界一強い女の子です。
そんなピッピが、隣家のセッテルグレーン家のトミーとアンニカと冒険物語を繰り広げます。
幻の「長くつ下のピッピ」 より引用
原作通りではありますが、ピッピは普通の女の子ではないですよね。
このスーパーマンとも言えるピッピが、日常の中で巻き起こすドラマが「長くつ下のピッピ」なのです。
大人たちに縛られることもない、自由奔放なピッピは、子ども達にドキドキ、ワクワク、そして夢を与えます。
高畑勲監督は、後のインタビューで「ドラえもん」を引き合いに出しています。
いまならもちろん「ドラえもん」です。日常生活の中で、こんなスゴイ友達がいたら、とか、こんなことができたら、とか、こんな道具があったら、という子どもの願望や夢を叶えさせる。そういう人物や道具を登場させる。まさに「エブリデイマジック」ですね。
幻の「長くつ下のピッピ」 高畑勲インタビューより引用
「エブリデイマジック」は日常を舞台にしながら、本来はありえない人物や道具が登場するストーリーのことを指しています。
ピッピもまた、日常の中に登場する「ありえない人物」なのです。
なぜ「幻」に終わったのか?
作品が中断となった理由はシンプルで、原作者のリンドグレーンさんの許可が下りなかったためです。
今でこそ世界的な実績を持つ3名ですが、まだ当時は30代の若きアニメーターでした。
世界に誇れる実績のなかった状況では、簡単には許可が下りなかったのでしょう(残念です・・・)
なお、その後あらためてピッピの制作オファーが来たことも、書籍の中で明かされています。
宮崎駿の名が世界中に知れ渡った後、リンドグレーンさんの著作権継承者から「ピッピ」のアニメーション化のオファーが来たことがあります。
その時に宮さんは「遅すぎる・・」と言ってその話に乗りませんでした。最終的に、「ピッピは時期を逸してしまったから、もう作れない」というのが宮さんの答えでした。
幻の「長くつ下のピッピ」 より引用
高畑勲監督も亡くなってしまった今、「幻」の作品が「現実」になることはなさそうですね。
後のスタジオジブリ作品にも影響を与えた世界観
「長くつ下のピッピ」は宮崎駿監督や高畑勲監督の若かりし日の作品ということもあり、その後の作品にも影響を与えています。
たとえば、宮崎駿監督の有名な作品『魔女の宅急便』(89年)は「スウェーデンのストックホルム、バルト海のゴトランド島ヴィスビーの町」を参考にしたと、公式に明らかにされています。
このスウェーデンやヴィズビーの町が、宮崎駿監督の初めての海外旅行でした。
そしてその海外旅行は、1971年に「長くつ下のピッピ」のロケハンとして行ったものなのです。
宮崎駿監督自身も、「長くつ下のピッピ」の影響について以下のように語っています。
たとえば、「パンダコパンダ」では、舞台こそ日本に変えていますが、家の中やキャラクターなどは「ピッピ」で準備したものをかなり使っています。
大きなブランコの絵は、「ハイジ」のオープニングで登場させました。
「魔女の宅急便」のコリコの町も、ヴィズビーで見たことが参考になっています。
幻の「長くつ下のピッピ」 宮崎駿インタビューより引用
アニメーション化は中断されてしまったため、残念ながら「ピッピ」を映像で見ることはできません。
それでも、資料はかなりの読みごたえがありますので、興味がある方はぜひ書籍を読んでみてはいかがでしょうか。